◎臼杵藩稲葉家
臼杵藩の稲葉家をご紹介します
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにいたるより前、各地の有力武将は大坂石田方につくか、徳川方につくか、去就を迫られていました。
豊後国でも豊臣秀吉により除国となった旧豊後国守護大友吉統が石田方に組して国内に入り、豊前中津城主黒田如水等東軍勢と石垣原で戦いました。
石垣原の合戦で徳川方に行動を疑われた岡城主中川氏が、関ヶ原の戦いのあと臼杵に進軍しました。
当時の臼杵城主太田一吉は佐賀関の合戦を経て、臼杵城を逃れました。
一方、美濃郡上八幡城主だった稲葉貞通は、はじめ西軍について自分の城を守りましたが、関ヶ原の戦いを前に徳川に従いました。
この貞通の父が稲葉一鉄であり、信長や秀吉に仕えた美濃の武将として知られています。
徳川が勝利を収め、同年のうちに稲葉貞通は家康により臼杵に転封されました。
稲葉家は豊後国海部(あまべ)、大野、大分の3郡内に五万石を領知安堵され臼杵藩主となりました。
現在の二王座地区や町八町のような城下の町並み、祇園祭りなどの文化や町の気風は稲葉氏の時代に培われたものといわれます。
明治の版籍奉還・廃藩置県に至るまで、15代の藩主が臼杵藩を治めました。


稲葉氏の家紋は〈角切折敷三文字 すみきり おしき さんもじ〉といいます。折敷は神へのお供えをのせる台のことで、伊予大三島の大山祇(おおやまずみ)神社の社紋にちなんでいます。 大山祇神社は越智一族の氏神で、軍神とされています。稲葉一鉄の祖父・河野通貞は越智氏の支族でした。美濃国守護職だった土岐氏に仕え稲葉を称するようになります。 このように、一族のルーツを重んじ、臼杵稲葉家では筆勢のある「三」を折敷にのせた家紋を定紋としています。 ヤマコ臼杵美術博物館には、この臼杵藩主稲葉家に伝わった貴重な古文書、文具、お姫様の嫁入り道具、膳・椀等の飲食器、馬具等の実物資料を展示しています。   臼杵は稲葉氏の城下町です。稲葉氏と臼杵の歴史を訪ねにヤマコ臼杵美術博物館へお越し下さい。 なお「国宝 臼杵石仏」との共通入場券も発売中ですのでご利用ください。

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